故郷の危機からくるストレスに対する関西在住ウイグル人の試み

FILE PHOTO: An ethnic Uighur demonstrator wears a mask as she attends a protest against China in front of the Chinese Consulate in Istanbul, Turkey, October 1, 2019. REUTERS/Huseyin Aldemir/File Photo

情報源:https://www.japantimes.co.jp/community/2019/11/28/issues/uighurs-kansai/

通訳:Uyghur uxli

チェック:Yasin

京都

 ニューヨークタイムズは11月初め、中国の西部に位置する新疆のウイグル弾圧に関する中国共産党内部からの漏洩文書を入手した。 月曜日に、国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)は、現在「中国ケーブル」と呼ばれているものの一部とされる、より多くの政府文書を公開した。

 これらの文書は、中国がイスラム過激派の鎮圧が目的と主張する大規模な「再教育」プロジェクトで、在外ウイグル人の家族が標的とされている、という報道を裏付けた。 中国政府は、これらの文書はでっち上げだと否定している。

 現在、推定約3,000人のウイグル人が日本に住んでおり、その多くは日本に住む外国人コミュニティの一員となっている。 しかし、ここ数年、彼らと故郷の家族との接触がますます難しくなり、悲しみと孤独のあまり一部の人がうつ状態などに陥っている。

今年の初めに、大阪の小さなコミュニティセンターで、以下の8人の在日ウイグル人と面会した。面会は出席者全員が中国にいる家族を保護するために本名を明かさないことを条件として行った。

「中国当局は私たちを簡単に特定することができます。」とグループを代表して匿名を求める際に、「サミル」は私に説明した。 「そして、それは私たちの家族により多くの苦しみをもたらすでしょう。」

 部屋のカーテンが降ろされた重々しい空気の中で、彼らはそれぞれが生まれ育った実家に「人権危機」が起こっている状況で、他国で生活していることの感情を共有し始めた。彼らの懸念の多くは類似しており、主なものは、新疆に住む親戚との接触が完全に切断されていることである。たとえ彼らが連絡を取り戻すことができたとしても、連絡には非常な緊張を伴うため、彼らは何が起こっているかについて詳細な説明を聞くことを恐れている。

 日本に15年近く住んでいる「イラン」は、中国のメッセージアプリWeChatを使用して高齢の両親や兄弟姉妹と連絡を取り合っていた時のことについて話してくれた。

2017年、新疆への旅行から戻って約6か月後に、彼女はWeChatにログインし妹にメッセージを送った。

「妹が(連絡先から)私を削除したことに気付きました」と彼女は言う。「とても悲しかった。 それでお母さんに電話して、『お母さんもいつか私を削除するかもしれない?』と聞きました。」

「お母さんは、それは一時的なものだから、理解してくださいと言いました。その2か月後に、お母さんも私を削除しました。」「イラン」はそれ以来2年間家族と連絡を取れていない。

 今年の1月、「イラン」は友人と一緒に家にいて、突然電話画面が動いていることに気付いた。

「誰かが私のWeChatアカウントを制御し、それを操作していました。」と彼女は回想する。「彼らは私の連絡先リストを調べていました。私はとても驚き、友人に何が起きているの、何が起きているの、と尋ね続けました。」

「イラン」と彼女の友人は、誰かが遠隔で電話にアクセスし、リアルタイムでチャットの記録を解析しているのを見て、信じられない思いをしていました。遠隔操作した者は、アラビア語で書かれた写真、ビデオ、文書を引き出していた。 そして彼女は、その友人がその状況を撮ったビデオを見せてくれた。

 その後、「イラン」はすぐにWeChatアカウントを無効にし、アプリも電話から削除した。

 大阪のコミュニティセンターに集まった残りのメンバーも、ソーシャルメディアのアカウントや親戚との間であった同様な話を語ってくれた。 

「サミル」の場合は、2017年に日本に住む彼と家族の誰かが一緒写った写真と、パスポートの写真を送ってくるよう、実家の一人から求められたことについて言及した。 その後、彼はまた日本にいることを証明するために、日本の新聞を持っている写真を撮って、送ってくるよう求められたという。

サポートを求め

 大阪のコミュニティセンターに集まったウイグル人のもう1つの共通点は、全員が流暢に日本語を話していたことである。 彼らのうちの多くはここで教育を受け、家族もいる。

 彼らは誰も自分自身を特に政治的であるとは思っていない。しかし、祖国の事態が悪化するにつれ、彼らは情報を入手する以外の選択肢がなかったと言う。

あるウイグル人「オミール」は、日常のことに集中するのが難しいと感じていると言い、「アブドゥレヒム」は、ストレスが運転にも影響し、集中できず赤信号を通り抜けてしまうような交通違反が増えてきたと述べた。

「イラン」は、ストレスが重なり会社に遅刻するようになってしまったが「以前は決してそうではありませんでした。」と言う。「家族のことを考えながら仕事に集中することができません。」

 グループの先輩(リーダー)の役割を担っているように見える「ラジド」は新疆での出来事が彼の人格にどのように影響したかについて語った。

「私には2つの側面があります。とても厳格である一方、とても親切です。しかし今、ささいなことでも落ち込んでしまい、泣きだしそうになります。」

 ストレスは他の家族にも影響している。「親が亡くなっても、戻ることはできません。」と「イラン」は言う。「私たちの子供たちも、私たちが非常に落ち込んでいるのをみて苦しんでいます。私たちは幸せではなく、普通の生活も送られていません。毎日が悲しいニュースでいっぱいになり、私たちの苦しみは日々増しています。」

 彼ら全員が日本で生産性の高い生活を送っているが、日本人の友人や同僚に心を開いてこれらのことを話すのは難しいという認識だった。「私たちは職場で、自分の生活で何が起きているのかについて実際には共有していません。説明するのが難しいから。」と「サミル」は言う。

 グループは、日本に住んでいる他の中国人の前で「自分自身を公にする」ことも心配しなければならなかったと述べていた。「中国のメディアは私たち(ウイグル人)を否定的な言葉で描いているからです」と「サミル」は言う。「彼ら(在日中国人)が私たちに対して持っているイメージは決して良いものではありません。」

「私はここ日本で中国人の学生と勉強し、中国人の友人もいました。」と「アスカル」が言う。「しかし今、私の家族やウイグル人に起こっていることのために、中国人(在日)に対し憎悪を抱くようになっていると感じています。」

行動を起こす代価

 日本は、7月に開催された国連人権理事会の定期会合で、ほかの21ヵ国と共に、ウイグル人の弾圧を止めるよう中国に呼びかけた。中国はこれは「過激思想の影響」からウイグル人を救う為のものだと反論した。

日本に住んでいる一部のウイグル人は、日本から故郷に戻っていったウイグル人や、この国に住んでいるウイグル人を、もっと助けてくれるよう日本政府に求めている。火曜日に茂木敏充外務大臣が「中国ケーブル」に関する最近のメディア報道について質問され、大臣は「国際社会における普遍的な価値である、自由、基本的人権の尊重、法的な支配が中国においても保証されることは重要であると考えている。」と述べた。

トゥールムハメット・ハシムは、九州大学で学ぶために1994年に初めて日本に来た。 彼はウイグル人の独立と人権の支持者であり、それは1997年に起きた、いまは「グルジャ事件」と呼ばれる事件に関わった、30人の独立系ウイグル人活動家が処刑されたことを聞いてからという。

「それ以来、私はウイグル人の問題について日本のコミュニティに話し続けています。」とトゥールムハメットは言う。彼は2008年に日本ウイグル協会の設立を手伝ったが、東トルキスタンと呼ばれる新疆の独立により注力する日本ウイグル連盟を設立するために、グループから離れた。

トゥールムハメットは、彼の活動が家族を犠牲にしたと思っている。「妻と娘は私の政治活動に同意せず、私を支持しないため、2013年にウルムチに戻りました。」と彼は電話取材に答えた。2017年に、彼は娘との接触手段を完全に失った。

「娘がどこに行ったのか、どこにいるのかわかりません。」と彼は言う。「私が父親であり、私が日本での独立運動に関与しているため、彼女が収容所に連れて行かれた可能性が高い。」

 個人的な代償がこんなに大きいにも関わらず、トゥールムハメットは揺らいでいなかった。

「北海道から沖縄まで、そして私の大学から、多くの友人から非常に良いサポートを受けています。」と彼は一緒に活動する人々について言及した。

 信仰を保つ

 大阪のコミュニティセンターに話が戻るが、メンバーは自分の話をグループ外の誰かに喜んで共有しようとしているように感じた。

 出席した若いメンバーの一人である「ジェイラン」は、第一子が生まれて、両親と最後の会話をしたと話を始めた。

「WeChatで子供を見せようと思い、母に電話しました。」と彼は続ける。「しかし、画面の外に誰かが立っているように感じました。」そして、同じ通話で、母親は彼に「これ以上連絡をとらない方が良い。」と伝えた。

「ジェイラン」は4月にうつ病と診断され、仕事を休むようになった。彼の妻は最近、第二子を出産し、絶え間ない悲しみの日々の中での、少しばかりの支えとなった。

「サミル」は忙しくし続けようとしていると話す。「仕事と家族に集中することで、故郷で起こっていることを考えないようにする一つの方法です。」と言う。

 彼は、ストレスへの対処に関しては、彼の信仰が力の源になったと付け加えた。

「宗教がより重要になりました。」と彼は言う。祈り、特に懇願や願いの祈りであるドゥアは、現在対処している「ストレスや不安を克服する」ことに役立っている。

  2時間後、多くの話の後、グループ会合は終わりに近づいた。カーテンが開き、小さなコミュニティセンターに光が降り注いだ。駅に戻る途中、「サミル」は日本での生活についてもう少し話してくれた。

「家ではとても大変です。」と彼は言い、家族から切り離されることから生じるストレスとトラブルについて話をしてくれた。

さて、

「私たちには何ができるのか?」