Month: May 2020

米下院議長、ウイグル人弁護士ヌリー トゥルケルを国際宗教自由委員に任命

情報源:https://www.rfa.org/uyghur/xewerler/nuriy-turkel-05262020174441.html https://www.rfa.org/english/news/uyghur/uscirf-05262020130709.html 翻訳:Ilik チェック:Yasin 米国下院の民主党指導者ナンシーペロシ(Nancy Pelosi)氏は、ワシントンを拠点とするウイグル人弁護士、ヌリー トゥルケル(Nury Turkel)氏を米国国際宗教自由委員(USCIRF)に任命した。 5/22(金)の議会の記録によると、トゥルケル氏はチベット系アメリカ人のテンジンドルジェ(Tenzin Dorjee) 博士の後任として、2022年5月14日まで超党派機関の委員として務め、新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)でのウイグル人に対する人権侵害について中国の責任を追及する。 5/26(火)、トゥルケル氏はRFAのウイグル部に「中国で抑圧された民族グループのメンバーとして、ナンシーペロシ議長から米国の国際宗教自由委員会の委員に任命されたことを喜んだいます」と語った。 「私は、世界中の信教の自由を促進し保護するためのUSCIRFの重要な活動に貢献する機会に深く感謝しています。」 任命は、2020年ウイグル人権政策法の投票が水曜日に下院で予定されているときに合わせられ、この法案は、180万人ものウイグル人や他のイスラム教徒を収容する収容所の本拠地である新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)での恣意的な投獄、強制労働およびその他の虐待の責任を負う中国政府高官への制裁を求めるものである。 5月中旬に上院で全会一致で可決された米国の法案は、3年前からの強制収容所について中国共産党を非難し制裁を適用するために、米国政府機関による地域の状況の定期的な監視を要求する。 トゥルケル氏が2003年に共同設立し、その議長を務めるワシントンを拠点とするウイグル人権プロジェクト(UHRP)は、火曜日の声明でペロシ氏による指名を歓迎し、USCIRFを「宗教の自由を守るための世界的な戦いを主導する声」であると述べた。 UHRPの事務局長オメル カナット(Omer Kanat)氏は「ナンシーペロシ議長がウイグル系アメリカ人をUSCIRFに任命することに重要なメッセージが込められている。トゥルケル氏の委員としての活動は、ウイグル系アメリカ人の民主的価値観とすべての人に対する信仰の自由を心から望んでいることの象徴となるでしょう」と語った。 「トゥルケル氏は私たちの故郷、東トルキスタンでウイグル人に対する大虐殺を終わらせるための世界的な行動を求める優れた声でした」と付け加えた。 超党派のパネル  USCIRFは9人の委員で構成される独立した機関であり、宗教の自由に対する違反を国際的にレビューし、ホワイトハウス、国務省、議会に政策提言を行っている。 USCIRFの委員は、アメリカ合衆国大統領と下院と上院の両方の政党の指導者によって任命される。...

ウイグル人権法2020は米国議会で絶対的な成功を収めた

ウイグルタイムズ  2020-5-27 5月27日、米国下院のマルコルビオ議員などの議員の要請により制定された2020年のウイグル人権法第3744号は、圧倒的に成功した。 総投票数は431票で、413票賛成対1票反対で可決された。このうち共和党は180票、民主党は231票、18票は棄権した。 ウイグル人権法は、米国上院で今年の5月14日、全会一致で可決された。次はトランプ大統領のサインが入れば米国の法律になる。 世界中のウイグル人に祝福する!

中国当局はホータンでウイグル人の子供たちを両親から強制的に引き離した

情報源:https://uighurtimes.com/index.php/chinese-authorities-forcefully-separating-uighur-children-from-their-parents-in-hotan-prefecture/ 翻訳:Ilik チェック:Yasin ウイグルタイムズが2020年4月22日に中国のソーシャルメディアであるTikTokとWechatから取得した情報によると、ホータンで強制寄宿制の幼稚園が導入されているということである。 TikTokのビデオクリップで、少女が服や家庭用品を準備し、涙を流しながら家を出ていく様子が映された。ビデオのコメントでは、彼女の6歳の妹が家を離れ、幼稚園に住むと書かれていた ビデオにつけられたコメントでは、「この強制システムは主に農村で実施されており、子供たちが週に一度だけ家に帰ることが許可されている」と書かれていた。 多くのコメントで、自分のことを自分ですることができない子供たちが家を離れることに非常にショックを受けていると書かれていた。 TikTokでビデオクリップが公開された後、いくつかのWechatグループチャットでもビデオが共有された。これによると、家族は毎週月曜日の朝に子供を幼稚園に連れて行き、土曜日の夜に家に連れ帰るよう求められている。 ある母親は、幼稚園の上級クラスに年長の子供とジュニアクラスに年少の子供がいること、そして子供たちはまだ小さい、彼らが排便/排尿した後の管理ができないという会話があったことも明らかにされた。教師は、服、紙、タオルを持参するように母親に求めているということである。 ホータンのカラカシュ県出身の母親は悲しみと無力感を語り、小さな子供がこれまで家を出たことがないこと、また、彼女がとても心を痛めていることを明らかにした。 チャットでは、子供たちが幼稚園に行かなかった場合、親は当局から絶え間なく詰問されるという、このシステムが強制的な性質であることも示された。 さらに、子供たちは4歳から5歳で漢民族の教師から授業を受け、毎日ラーメンと米しか食べられないため、食事にも飽きている。子供たちは教室のテーブルで昼寝をすることもある。以前東トルキスタン(新疆)の高校や中学校でも実施されてきたこのようなシステムは現在、幼稚園児にも導入されていることが明らかになってきた。 児童の権利に関する国際連合条約の第9条は、司法審査の対象となる管轄当局が次のように決定した場合を除き、州および当事者が自分の意志に反して子供を両親から引き離してはならないことを明確にしている。これに該当する法律と手続きは、子供の権利のために必要な分離措置であり、親による児童虐待や育児放棄を伴う場合や、親が別居していて子どもの居住地について決定を下さなければならない場合など、特定の場合に必要になることがある。 ハーバード大学の子供発達センターのセンター長であるJack Shonkoff(ジャック ショーンコフ)によると、子供を母親から引き離すことは、子供たちにとって非常に有害である。 これは、単に人道的観点からだけではなく、科学的な観点からもいえることである。子どもたちは両親から離れると常にプレッシャーと不安の中で生き、恐怖に関連する脳の領域が発達し始めるのに対して、学習と記憶に関連する脳の領域は発達を停止する。 シェーンコフ教授は「悪化すると、うつ病や冠状動脈性心臓病につながる可能性さえある」と述べた。 ソーシャルメディアのコメントでは、多くの親が無力感を感じ、現在の強制システムに強い不満や、子供たちの健康と福祉を非常に心配していることが書かれている。

ウイグル人の行方不明の母親への手紙

アブドゥルハキム・イドリス 翻訳:清水 政明 情報源:https://bitterwinter.org/a-uyghur-mans-letter-to-his-lost-mother/?fbclid=IwAR0tV7HR6TLgeFT_lKGhe420gp5soGfdVgN8JAgfsVwna1UqhLEXz85lL-Y アブドゥルハキム・イドリスは人権活動家であり、ウイグル人の権利の主張者であるルーシャン・アッバスの夫です。彼は母親がどこにいるかを知りません。 アブドゥルハキム・イドリスによる記事 (写真は、イドリスさんの母親ヘビベハン・ハジムさん) 愛する母よ、 最後にあなたの声を聞いたのは2017年4月25日でした。 それから今日で1095日です。前回の電話での会話から3年。もう電話して来ないようにと言われた時のあなたの震える声を今でも覚えています。 2001年にドイツで会ったとき、あなたは何度も私に言いました。「息子よ、私たちはありとあらゆる物事を見てきました、そして私たちは歳を取ってゆきます。私たちが恐れるのは神だけです。あなたは自分で選んだ道を行くべきです。」よく分かっています、母よ。私はあなたの勇気を知っています。あの日、あのようにあなたが恐怖していたのは、いったい何が起こったからなのでしょうか?母親に自分の息子に電話しないように言わせたものは何なのでしょうか? 私は2010年にアメリカに到着して以来、毎日あなたに電話をかけました。私は1982年に家を出ましたが、まだ若かったので、理解できないことがたくさんありました。ホータンの秘密の地下宗教学校に通っていた時、私は、あなたの家事を手伝ったり、若い大人として家族への責任を果たしたりすることができませんでした。 私が1986年に留学するために家を出た時、あなたは私に、あなたの貯金すべてを与えてくれました。愛する母よ、あなたには知らせていませんでしたが、1989年、巡礼中のアラファの祭日に、私は、卒業後の次のステップについて、留学している他のウイグル人学生と話し合ったのです。私たちは祖国のために自分たちが何をできるかについて、答を求めていました。何が最も有益なのでしょうか?それで、西洋の民主主義国に移住することを決断しました。私はあなたの許可なく、1990年9月9日に友達とドイツに来て、そこに定住しました。「故郷に尽くすために、故郷を離れる」という、最初の実践的な一歩を踏み出しました。私は物理的にはあなたから離れて行きつつありましたが、母よ、精神的に私はあなたにとても近かったのです。 私は、あなたが電話しないでほしいと言った日のつらい記憶とまだ一緒に生きています。守るべき私の兄弟姉妹との連絡が途絶えてから既に1年以上が経過していましたが、さらに、あなたとの連絡も途絶えてしまいました。あなたが電話を切った後、私が立ちつくしていたことを、今でも覚えています。頭が垂れ下がり、涙があふれ出てきました。私は不思議な悲しみに包まれていました。私の心は永久の別れの悲しみに占領されていました。 私は既に、弾圧が続いた結果として、兄(弟)のアブドゥレヒムが歓迎できない漢民族の家族によって奴隷扱いされていることを知っていました。彼らは政府の「二重親族」政策の下で「親族」として強制的に他人の家に送り込まれてきた露骨な詐欺師でした。(訳者注:中国政府は、ウイグル人家庭に、赤の他人の中国人を送り込み、「家族」として一緒に暮らすよう強制しています。)私はかつてあなたに尋ねました。「恥知らずなお客はまだいるのですか?」あなたは深くため息をついて何も言いませんでした。 私たちの祖国が1949年に共産党政権によって占領されて以来、中国政府は常に私たちの家族の威信と誇りを打ち壊そうとしてきました。彼らは私の祖父の馬と財産を没収し、私たちの素晴らしい中庭をつぶし、庭の楽園を破壊し続けました。あなたはその時、あなたが今回したようには反応しませんでした。今回、この邪悪と不名誉が私たちの家庭、私たちの家、最後の拠点に侵入して来ました。母よ、あなたを壊したのはこれなのでしょうか?私たちの勤勉で忍耐強い父があまりにも無力なために、あなたは失望したのでしょうか?私の姉妹が直面している虐待と、優しい兄(弟)のアブドゥレヒムを奴隷扱いする拷問が、あなたを絶望させたのでしょうか?あなたの無実の孫たちの運命が分からないことが、私との接触を遮断するほどあなたを怖がらせたのでしょうか? 母よ、あなたが困難と不幸に耐える方法をよく知っていることを私は知っています。私の天使のような母親が叫ぶことすら放棄してしまったのは、どのような残酷なことが原因ですか?文明の故郷である東トルキスタンは暗闇に落ち込んでしまいました。 あなたと連絡が取れなくなったその日以来、私はその痛みに打ちのめされ、衝撃を受け続けています。その日のしばらく後、私は落ち着いては来ましたが、私の心は、私がいる場所とは別の場所にありました。時々、私はいらいらし、ストレスに圧倒されました。私は感覚がマヒしたこともあります。私の精神は落ち込み始めました。 100日以上たって、親戚から私にメッセージが来て、兄(弟)のアブドゥレヒムが21年の禁固刑を言い渡され、姉妹全員が強制収容所に入れられたと伝えられました。さらに続けて、両親の消息は分からないと伝えられました。メッセージの最後で、あなたの家に入るドアは施錠され、封印されたと知らされました。あなたの孫について尋ねると、彼らがどこにいるのかは誰も知らないと言われました。そう言われた時の気持ちは今でも覚えています。まるで自分が消滅寸前のようで、その知らせで私の息は止まるかと思いました。私は絶望と無力感に押しつぶされました。友人の親戚の多くも収容所に連行されたというニュースも伝わり始めました。 私はかつてあなたが言ったことを覚えています。「息子よ、将来のある日に、国境が閉鎖され、連絡が途絶えたとしても、私たちの状況について確信しなさい。あなたは自分の家族のことだけを考えれば良く、私たちのことを心配する必要はありません。」その時、私はなぜそんなことを言われたのか分からなかったのですが、母よ、今あなたの言葉の意味を理解しました。私たちの故郷に何が来るのかを予知したあなたはどれほど賢明なことか。 最近ずっと、私が毎日できる唯一のことはあなたについて考えることです。あなたはいつも私の考えの底と心の中にいました。どこにいても、何をしていても、あなたとの思い出、あなたの声、あなたの顔はいつも私と一緒でした。心配と絶望が私の人生を乗っ取ってしまいました。あなたがどこにいるのか分からない気持ち、あなたと父がどのような恐怖を生きているのか、そして無力感…すべてが私に極度の精神的苦痛を与えていました。...